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05 / 10みらととシャッハ

リプレイ小説『ロールシャッハ・シンドローム』#

原作シナリオ:ディズム『ロールシャッハシンドローム』
セッション:PL ミラン・ケストレル・立伝都々/DL 雪城眞尋「#みらととシャッハ」
動画:https://www.youtube.com/watch?v=WkWxcTShiuk

これから観測される結末は、確定していないが避けようのない厄難だ。
願わくは、閉じて開いた対称の輪郭が、鮮やかであらんことを。

登場人物#

ミラン・ケストレル
「決して怪しくない」と名乗る、飄々とした何でも屋。都々と共に、病気の母のため薬草を探すレイの依頼に付き添う。

立伝都々
困っている人なら誰でも助ける「お助け部」の少女。母を救う薬草を探したいというレイの話を聞き、噂だけでも調べる価値があると山へ同行する。

レイ
病気の母に効くという薬草の噂を頼りに山へ来た高校生。バス酔いに苦しみながらも、ミランと都々へ礼儀正しく助力を願う。


第一章動画で見る#

古いバスのエンジンが、床板を低く震わせていた。窓の外には夏の山が迫り、濃い緑の切れ間から谷が覗く。カーブを曲がるたびに車体が傾き、三人しかいない客の身体を同じ方向へ揺らした。

立伝都々は窓へ顔を寄せ、流れていく景色を楽しんでいる。向かいの席では、高校生のレイが青い顔で背もたれに沈んでいた。

「山の景色、すごく綺麗。レイちゃんも見てみたら?」

「すみません。少し、乗り物に酔ってしまって」

「大丈夫? 誰か酔い止めを持ってない?」

青いマントを羽織ったミラン・ケストレルが、鞄の中を探すふりをする。

「薬草なら、この山で見つかるかもしれないね」

「それは、母の病気を治すための薬草です。酔い止めに使ってはいけないと思います」

レイの言葉へ、都々はようやく今日の目的を思い出したように振り返った。

「そうだった。お母さんの病気を治す薬草は、山のどの辺にあるの?」

「詳しい場所は分かりません。この山にあるという噂を聞いただけなので」

「噂でも、来て探さなきゃ始まらないよ。都々はお助け部、みんなの味方だからね」

「火のないところに煙は立たないとも言う。調べる価値はあると思うよ」

二人の返事に、レイは深く頭を下げた。

「本当にありがとうございます。噂だけなのに、来ていただけて心強いです」

「ところで、名前は何だっけ」

都々が悪びれず尋ね、レイは目を瞬かせた。

「レイです。好きに呼んでください」

「じゃあ、レイちゃん。私は都々お姉さんで」

「都々お姉さん。よろしくお願いします」

レイは隣の男へ視線を移した。ミランは胸へ手を当て、芝居がかった会釈をする。

「僕はミラン。決して怪しくないミランです」

「『決して怪しくない』が名字で、ミランさんがお名前ですか?」

「違うよ、レイちゃん。そこまでを名字にしたら、かえって怪しいでしょう」

「最初から十分怪しいけどね」

「都々さんは黙っていようか」

軽口を交わす二人を見て、レイの強張っていた肩が少し下がった。

「ミランさんと都々お姉さんは、いつも一緒にお仕事をされているのですか」

「都々のお助け部は、困っている人なら誰でも助けるよ」

「ミランは何でも屋。都々さんに振り回されるのも、仕事の一部みたいになっている」

「今のところ、依頼料のお話をしていませんでした」

レイが不安そうに鞄を押さえると、都々は大きく手を振った。

「心配しなくていいよ。薬草が見つかったら、その辺のどんぐりでももらおうかな」

「それでは、お仕事にならないのでは」

「都々さんの経営感覚は、あとで僕が何とかする。レイちゃんは、お母さんのことだけ考えていればいいよ」

レイは小さく礼を言い、窓の外へ目を向けた。その横顔には安堵だけでなく、何かを言えないまま呑み込んだような影があった。

やがてバスは、山頂近くの古びた停留所へ着いた。外へ出ると、熱を持った舗装路と木陰の冷気が同時に肌へ触れる。時刻表によれば、次のバスは二時間後。その次はさらに一時間以上先だった。

「二時間あれば、山頂まで登って下りてこられるよね」

「何かあれば、歩いて帰ればいい」

ミランの提案に、レイは山の下へ続く車道を見て顔を曇らせた。

「歩いて帰るのは、少し……」

「レイちゃんもいるんだから、二時間で戻ろう。都々さんも勝手に先へ行かないように」

「任せて。何かあったら、二人を抱えてでも下りるから」

「それが心配なんだよ」

参道は木漏れ日の中を緩やかに登っていた。だが石段は不揃いで、湿った土が靴底へ貼りつく。レイの歩調を気にしながら進むうち、都々は虫の多さに顔をしかめた。

「ミラン、そのマントを貸して」

「何に使うつもり?」

「虫よけ。こう、振り回せば寄ってこないでしょう」

「絶対に貸したくない。そもそも、その露出の多い服で山へ来るからだよ」

「これは仕事衣装なの」

「虫よけになる薬草があれば、燃やすといいかもしれません」

「レイちゃん、山で火を使うのはやめておこうね」

都々は諦めず、上半身を左右へひねりながら歩き始めた。腕が風を切り、近づいた虫を追い払う。

レイは呆気に取られた。

「都々お姉さんは、いつもこのような感じなのですか」

「いつもだよ。物理的にも精神的にも、周りを振り回している」

「聞こえてるよ、ケストレル」

「さて、先へ進もうか」

都々は道端の草を一本引き抜き、日に透かした。

「これが薬草じゃない?」

ミランが葉の形を確かめ、静かに首を横へ振る。

「違うね。分からない草をむやみに抜いて、そこへ捨てない」

「自然に優しくないことをしてしまいました。ごめんなさい」

殊勝に頭を下げた都々は、数歩先で別の草へ手を伸ばした。ミランが無言でその手首をつかむ。

「薬草の形は、何か聞いていないの?」

「そこまでは分かりません。噂を教えてくれた人も、山にあるとしか」

「それだと、山中の草を全部確かめることになるね」

「見つかるまで抜けば、いつか当たるでしょう」

「都々さんが山を丸裸にする前に、僕が止めないといけないらしい」

レイは笑ったあと、息を整えるために立ち止まった。都々がすぐに戻り、背中を覗き込む。

「疲れた? 荷物を持とうか」

「大丈夫です。お二人の足を引っ張りたくありません」

「依頼人を置いていく方が、よほど仕事にならない。ゆっくり行こう」

ミランが歩調を落とすと、都々も珍しく先を急がなかった。

木々の壁が不意に途切れた。円形に開けた空地の奥に、風雨で色を失った祠が一つだけ建っている。人の気配はなく、鳥の声もそこだけを避けているようだった。

「薬草より先に、何かありそうな物を見つけたね」

「触らぬ神に祟りなし、と言いますが」

ミランが注意を口にしている間にも、都々の手は祠の戸へ伸びていた。

「私の手は、勝手に伸びていきます」

「勝手ではないよね。都々さんの意思だよね」

第二章動画で見る#

祠の戸を開けると、御神体ではなく、一枚の札が貼られていた。紙の端は崩れ、墨の文字も擦れて読めない。

ミランは戸口へ身を屈め、札へ目を凝らした。

「祀っているというより、何かを封じているように見えるね」

「難しいことを言ってないで、お参りしようよ」

都々は先ほど抜いた草を供えようとした。ミランが眉を上げる。

「いらなくなった物を祠へ置くのは、お供えとは言わない」

「何もないよりいいでしょう」

「私は飴を持っています。葉っぱだけでは寂しいので、これも置きます」

レイが包み紙の綺麗な飴を札の前へ置く。都々は満足そうに彼女の頭を撫でた。

「偉い、偉い。願い事をすれば、きっと叶うよ」

「都々お姉さんは、何を願いますか」

都々は手を合わせ、目を閉じた。

「今一番の願いは、レイちゃんのお母さんを治す薬草が見つかること」

「僕は、掘り出し物の機材が見つかりますように、かな」

「ミランさん、ここで仕事の仕入れを願うのですか」

「それなら私も、お母さんの病気が治りますように、とお願いします」

三人は並んで祈った。都々は札へ向かい、低い声で念を押す。

「絶対に叶えてくださいね」

「都々お姉さんの方が、祠より少し怖いです」

「今、聞こえたよ」

「耳がよろしいのですね」

都々はもう一度、祠へ顔を寄せた。

「願いを叶えてくれなかったら、今度はもっと飴を持ってくるからね」

「脅しているのか、買収しているのか、どちらなんだい」

「お願いしてるだけだよ。レイちゃんのお母さんが元気になるように」

「ありがとうございます。私も、何かお返しができるようにします」

「元気になったって聞かせてくれれば、それで十分」

その言葉に、レイは一瞬だけ目を伏せた。すぐに笑顔へ戻ったため、都々は気づかなかった。ミランだけが、その短い沈黙を記憶の隅へ置いた。

祠の戸を閉め、三人は再び山頂を目指した。

ほどなく、参道脇の岩肌に洞窟が現れた。奥は暗いが、山頂への道はその横を通っている。入らなくても先へ進める場所だった。

「こういう所にこそ、珍しい薬草がありそう」

「日の当たらない洞窟で育つ薬草は、限られると思うけどね」

「月の光で育つとか、あるかもしれないでしょう」

レイは暗がりを覗き、不安そうに二人を見る。

「怖いので、お二人に先へ行っていただいてもいいですか」

「もちろん。都々お姉さんに任せて」

都々がレイの手を取り、ミランが先頭へ立った。

内部はすぐ行き止まりになっていた。土と岩以外、薬草も獣も見当たらない。都々が岩壁へ耳を当てたが、聞こえるのは自分たちの呼吸だけだった。

「意外と浅かったね。雨が降ったら雨宿りには使えそう」

「水も滴るいい女って言うでしょう」

「それは雨に濡れる話じゃないよ」

「都々お姉さんは、本当に楽しい人ですね」

「いつも周りの人は困っているよ」

「誰が困らせてるって?」

「さあ、何のことでしょうか」

山頂へ出ると、幾重にも重なる山並みと、その向こうの町が一望できた。風が草の穂を伏せ、登りで火照った肌から熱を奪っていく。

都々が胸いっぱいに息を吸った。

「ヤッホー!」

声は返ってこなかった。

「向こうに山がないと、山びこは返ってこないんだね。レイちゃんもやってみる?」

レイはためらい、小さな声を出した。

「やっほー」

「もっとお腹から。もう一度!」

「やっほー!」

「いい声が出たね。返事は来ないけど」

「では、今の練習は何のためだったのでしょう」

ミランの冷静な指摘に、三人は顔を見合わせて笑った。

「声を出したら、元気になったでしょう」

「確かに、登ってきた疲れは少し忘れました」

「都々さんの行動にも、たまには意味があるんだね」

「いつもあるよ。ミランに分からないだけ」

三人は景色を見渡しながら、草の色や葉の形を確かめた。都々は気になる物へ一直線に進み、ミランはその後で毒草ではないか確認する。レイは二人の間を往復し、採った草を丁寧に並べた。

草むらを探しても、目当ての薬草は見つからなかった。都々は一本ずつ確かめ、ミランは形や匂いを見比べ、レイも膝をついて葉の裏まで覗いた。だが時刻だけが過ぎていく。

ミランが懐中時計を開いた。

「帰りの時間を考えると、そろそろ下りた方がいい」

「今日は収穫なしか。じゃあ、明日も来よう」

「一週間ぐらい空けない?」

「どうして。ミランは忙しくないでしょう」

「忙しいよ。たまに外へ出てもいいと思ったから来ただけで」

レイは申し訳なさそうに二人を見る。

「次も一緒に探していただけるのですか」

「もちろん。見つかるまで山だよ」

「僕も付き合う。知識が必要になるかもしれないからね」

「ありがとうございます」

「明日も来るなら、もっと早いバスにしよう。二時間では、山頂を少し探しただけで終わってしまう」

「ミラン、明日は忙しいって言ってなかった?」

「たまに外出が必要だと思う日が、明日も続くだけだよ」

「素直に暇だって言えばいいのに」

「決して暇ではない。依頼の継続に責任を持っているんだ」

レイは二人のやり取りを見て、声を立てて笑った。山へ来てから初めて、遠慮のない笑いだった。

三人は山を下り、帰りのバスへ乗った。座席へ身体を預けると、規則的な揺れが足の疲れを眠気へ変えていく。

「明日は、もっと早い時間に来た方がいいね」

都々の言葉へ答えようとした瞬間、鋭いブレーキ音が響いた。

第三章動画で見る#

「お母さんの病気が治りますように」

祈り終えたレイが顔を上げる。帰りのバスで聞いたはずのブレーキ音が耳に残っているのに、三人はまた祠の前へ立っていた。

戸は閉じられ、供えた飴は元の場所にある。木漏れ日の角度も、最初に祈りを終えた直後と同じだった。

ミランは懐中時計を取り出した。針が示しているのは、前日に山へ来た時刻ではない。今しがた巻き戻されたとしか思えない、最初に祠へ着いた時刻だった。

「どうかしましたか」

レイに問われ、ミランは何も答えず時計をしまった。

その直後、左足の奥を鋭い痛みが貫いた。都々も右足を押さえ、眉を寄せる。傷はない。それでも骨の内側だけが、まだ起きていない何かを知っているように疼いていた。

「レイちゃん。私たちが会って、今日で何日目?」

「ご依頼して、一緒に山へ来たばかりですから、二日目でしょうか」

都々とミランは目配せを交わした。

「レイちゃん、少し待っていてもらえるかな。都々さんと二人で話したい」

木陰へ離れると、都々が声を潜める。

「私たち、帰りのバスへ乗ってたよね。レイちゃんが酔っていて、明日はもっと早く来ようって話をした。そこから記憶がないんだけど」

「僕も同じだ。しかも時計まで昨日と同じ時刻へ戻っている。時間か空間が、閉じているような感覚がする」

「つまり、時間が戻ってるってこと?」

「その可能性はあるね」

「難しいことは全部ミランに任せる。何か気づいたら教えて」

「ずいぶん早く思考を手放したね。ところで、足は?」

「右が痛い。ミランは?」

「左足だ。この痛みも最初の一日にはなかった」

「祠を触ったからじゃない?」

「触らぬ神に祟りなしと言ったのに、先に戸へ手を掛けたのは都々さんでしょう」

「開けたのはミランだろ」

二人の声が大きくなり、待っていたレイが心配そうに近づいた。

「大丈夫ですか。何か、壊すとか聞こえましたけど」

「壊さないから大丈夫。ちょっと足が疲れただけ」

「レイちゃんは、右足や左足が痛いということはない?」

「登ってきて疲れたとは思いますが、痛む場所はありません。お二人こそ、何かあったら言ってくださいね」

「ありがとう。じゃあ、山頂へ行こうか」

都々が斧を構えたため、ミランはすぐにその手を下ろさせた。

「祠を壊してから、という意味じゃないよ」

再び山道を登ると、やがて洞窟へ行き当たった。都々が何気なく言う。

「この奥には何もないから、先へ行こう」

レイが足を止めた。

「どうして、何もないとご存じなのですか。前に来たことがあるのですか」

「勘。いや、待って。やっぱり奥が気になってきた。お店へ寄るみたいに、ちょっと見ていかない?」

「洞窟へ、その調子で寄る人は初めて見たよ」

「薬草があるかもしれない。レイちゃん、暗いのが怖ければ手をつなごう」

「ありがとうございます、都々お姉さん」

都々がレイの手を取り、ミランが先頭へ立った。

奥には、前にはなかった炎が揺れていた。割れたランプに火が灯り、その横には車体から外れたようなヘッドライトが転がっている。

「火が出てる。ミラン、マントを貸して」

都々が青いマントを剥ぎ取ろうとし、ミランは慌てて裾を押さえた。

「何をするつもり?」

「これで叩いて消す」

「僕の大切な物を燃やして火を消す、という発想がおかしいよ」

「でしたら、私の上着を」

制服へ手を掛けたレイを、二人は同時に止めた。

「レイちゃんは、そのままでいい」

「都々さん、斧でも振ってみたら?」

「最初から、そう言ってくれればいいのに」

都々が斧で風を送っても、炎は消えなかった。むしろ大きく揺れ、ヘッドライトの光と重なって、岩肌へ左右対称の巨大な影を映し出す。

レイが影を見上げた。

「こういう診断テストをご存じですか。ロールシャッハ・テストというのですが」

「ロールパンケーキ?」

「パンケーキではありません。白い紙へインクを落として二つ折りにし、できた左右対称の染みが何に見えるか答える性格検査です」

「それなら、都々にはドラゴンに見える。ここが角で、こっちが翼。黒いところも、いかにも強そう」

ミランは少し離れて眺めた。

「僕には、八本の足を持つ蜘蛛かな」

「ドラゴンでしょう」

「正解を競うものではないんです。私は、細く伸びたところが狐の目に見えます」

「都々お姉さんは、ドラゴンを見たことがあるのですか」

「あるよ。強かった」

「本当にいるのですね」

「レイちゃん、都々さんの話は半分ぐらいに聞いておいた方がいい」

「依頼でドラゴン討伐をしたこともあるんだよ。死なない程度に強い相手は好き」

「印象へ残っているものが見える、という話は聞くから、都々さんらしい答えではあるね」

「ミランさんも、八本足の蜘蛛を見たことがあるのですか」

「蜘蛛なら、ドラゴンよりは一般的だよ」

三人が答えを出した時、声ではない言葉が頭蓋の内側へ流れ込んだ。

――時間が来れば、影は実体を取り戻す。

レイが瞬きをする。

「お母さんの病気が治りますように」

次の瞬間、三人はまた祠の前へ戻っていた。都々の頭が痛み、ミランの左足もまだ疼く。先ほどまで痛んでいた箇所が消え、別の場所へ移ったことだけは確かだった。

「ドラゴンは?」

「ドラゴンとは、何ですか」

「今、コウモリを見間違えたみたい。気にしないで」

都々とミランは、またレイから離れた。

「三周目、ということだね」

「一回目は普通に帰った。二回目は影を見て、思念を聞いたら戻った。完全に同じじゃない」

「痛む場所も変わっている。『痛みは予感』という言葉が関係するのかもしれない」

「洞窟か、祠か。やっぱり怪しいのは、あの札だよね」

ミランが祠の戸を開けると、読めないはずの墨の並びに違和感があった。最初に見た時と比べ、文字列が鏡写しになっている。

「配列が反対だ。札まで左右を入れ替えている」

「最初って、どういう意味ですか」

レイに問われ、都々が即座に答えた。

「ミランはね、目からビームを出して、見えない物を透視できるの」

「本当ですか」

「出ないよ。都々さん、変なことを教えない」

「今日は頭が痛いから、都々もビームを出せるかもしれない」

都々がこめかみへ指を当てている間に、ミランはそっと札を外し、マントの内側へしまった。戻った時に持ち物がどうなるか、確かめるためだった。

三人はまた山頂を目指した。道中でミランは、景色そのものが最初と左右反対になっていることへ気づく。札と道と洞窟の影。どれも、世界が鏡の向こうへ折り返されたことを示していた。

頭痛で顔をしかめる都々へ、レイが気遣わしげに尋ねる。

「頭は大丈夫ですか。……頭が大丈夫か、と聞くのも失礼ですね。すみません」

「レイちゃんだから許す。ミランに同じことを言われたら、蹴飛ばしてたかも」

「たまには引き返して、優しいところを見せようかと思ったけれど、今ので売り切れたよ」

「優しさのアピールだけはするんだね」

「痛みを紛らわせるために、別の話をしましょうか」

レイは、病院のベッドで目覚める思考実験を語った。隣には有名なバイオリン奏者が横たわり、一本の管で自分とつながっている。奏者は臓器移植が必要で、ドナーが見つかるのは九か月後。管を外せば相手は死ぬが、つないだままなら九か月、自分の自由を失う。

「お二人なら、残りますか。それとも断りますか」

都々は少し迷い、話の条件を確かめた。

「九か月つながっていれば、その人は助かって、そのあと笑ってくれるんだよね。だったら残るよ」

「有名な奏者だからですか」

「関係ない。全然知らない人でも、助かるなら同じ」

「断るという考えは、浮かびませんでしたか」

「浮かばなかった。都々には、それしかないかな」

「相変わらず眩しい人だね」

「金髪だから、光の加減で眩しいのかな」

「そういう意味ではありません」

ミランは、都々とは違う答えを選んだ。

「僕は断ると思う。九か月と聞いた時、隣に十分長く生きた老人が浮かんだし、その人は九か月もたないかもしれないと思った。二人分の時間を失うなら、受けない方がいい」

「自分の自由を優先する、あるいは無駄なことへ時間を使いたくない、ということでしょうか」

「そこまで言い切れるかは分からないけれど、効率を考えたのは確かだね」

「相手が若い人や、大切な人なら?」

「答えは変わるかもしれない。都々さんが毎日見舞いへ来てくれるなら、九か月つながっていてもいいかな」

「私のお見舞い次第なの?」

レイは都々と同じく、残る方を選んだ。

「母も病気ですから、病気の方や、その方を待つ家族を放っておけないと思います。都々お姉さんとは少し理由が違うかもしれませんが、誰かの助けになれたらうれしいです」

「いい子だね」

都々が髪をわしゃわしゃと撫でると、レイはくすぐったそうに笑った。

「これは心理テストというより、トムソンのバイオリン奏者という思考実験です。正解がある話ではなく、その人が何を考えるかが見える問いですね」

「難しい話をしたら、さらに頭が痛くなってきた」

「異変の痛みと、思考の痛みを一緒にしないでよ」

三人の答えが出揃うと、また思念が流れ込んだ。

――痛みは予感だ。それも、解決の方法は一つしかない。

レイが瞬きをする。

四回目の祠。今度はミランの右足と、都々の頭が痛んだ。ミランがマントの内側へ手を入れても、持ち出した札はない。戸を開ければ、鏡写しの札が元の場所へ戻っている。

持ち物まで巻き戻った。それで、見間違いや夢という可能性はほとんど消えた。

ミランは祠の戸を閉じ、レイへ向き直った。

「レイちゃん。落ち着いて聞いてほしい。僕たちは、この光景を見るのが四回目なんだ」

「この山へ四回来た、という意味ですか」

「違う。同じ時間を繰り返しているの」

都々は夢ではないと示すため、レイに頬をつねってもらった。痛がる都々を見て、レイはさらに混乱する。

「今が夢ではないことは分かりました。でも、祈ったところから先を四回も、ということですか」

「一回目は普通に山頂へ行って帰った。二回目はロールシャッハの影を見たあと、三回目はバイオリン奏者の話をしたあとに戻った。君が瞬きをした直後にね」

「痛む場所も、戻るたびに変わる。前の痛みは消えて、別の場所が痛くなるんだ」

「私は毎回、祈りの直後から始まっていたのですね」

「混乱させたくなくて、今まで隠していた。ごめん」

「謝らないでください。話してくださって、ありがとうございます」

心理に強く働く話がきっかけなのかもしれないと聞き、レイは本で読んだ別の心理テストを思い出した。

「バイキングで好きな物を取った時、どう食べますか。何から食べるか迷う、早く食べて次へ進む、黙々と食べる、少しずつ残す。この四つなら、どれでしょう」

「早く食べて次。いっぱい食べたいから」

都々が即答すると、ミランも同じ答えを選んだ。

「せっかくなら、できるだけ多くの種類を食べたいからね」

「その答えの人は、恋愛でも早く結果を求めるそうです。気になる人ができたら、自分から積極的に近づく。ただ、付き合って相手を知ると、急に冷めやすい傾向もあるとか」

「心理テストには、よくある続きだね」

「恋愛は分からないけど、友達になりたい人がいたら、都々から何度でも声をかけるよ」

「都々お姉さんは、太陽みたいな人です。友達になりたい相手がいたら、すぐ声をかけそうです」

「そんなに褒めても、何も出ないよ」

「お世辞ではありません。ずっと一緒にいたいぐらい、温かいです」

都々は照れ隠しに、レイの髪をまたわしゃわしゃと撫でた。

今度は何も起きない。

「心理テストなら何でも戻る、というわけではないらしい」

「では、山頂へ進みながら別の手掛かりを探しましょう。本来は薬草を探しに来たのですから」

「そうだった。目的が乾いちゃってたね」

「忘れちゃってた、では?」

三人は立ち上がり、もう一度、山頂へ続く道を歩き始めた。

第四章動画で見る#

山頂へ続く道の中央に、黒い箱が現れた。

艶も継ぎ目もない正方形で、木漏れ日さえ吸い込んでいる。誰かが置いたのか、最初からそこにあったのかも分からない。ただ三人とも、近づいてはいけないものだと直感した。

「何だろう、あの箱。すごく嫌な感じがするね」

「私も、あまり近づきたくありません」

「分からないものは調べるに限る。都々の手が伸びてしまいそう」

「今回はレイちゃんもいるんだ。危ない物が入っていたら困るでしょう」

「でも、あの箱を通らなければ山頂へ行けないよ。斧を投げてみる?」

「投げたら取りに行かなければならないよ」

「そうだった」

レイは箱から目を離さず、小さく首を振った。

「明日でも明後日でも、私は予定が空いています。今日は引き返しても大丈夫です」

「それなら、いったん帰ろうか」

「待って。箱へ近づかずに、迂回して登れるかもしれない」

三人は大きく距離を取り、道の端から箱を通り過ぎようとした。

その時、内側で雑音が弾けた。

『乗員四名のうち、一名は軽傷。三名が車内に取り残されている模様。応援を求む』

続いて、声ではない思念が頭へ流れ込む。

――ブレーキ音のあと、世界は収束する。無傷が揃ったとしても、保証はない。

レイが瞬きをした。

「お母さんの病気が治りますように」

三人はまた祠の前にいた。都々の左足とミランの右足が痛む。

「レイちゃん、ちょっと待っていて。状況が読めてきた気がする」

二人は空地の端へ離れた。

「私たち、もう事故に遭ってるみたいだね」

「僕もそう思う。乗員四名というのは、僕たち三人と運転手だろう。ブレーキ音のあと、三人が車内に残された」

「一人が軽傷なら、今まで痛くなかったレイちゃんかな」

「その可能性はある。ただ、運転手が軽傷者なら、僕たち三人が取り残されたことになる」

「運転手さんは、どうしてここにいないんだろう」

「ここが事故と現実、生きている側と死ぬ側の間なら、何か条件が違うのかもしれない」

「難しいよ」

都々は頭を抱えた。

「『ブレーキ音のあと、世界は収束する』。あの音が鳴った時に、僕たちの結末が決まるのかもしれない。その前に痛みのない状態を選ぶか、脱出口を見つける必要がある」

「一便見送ったら、事故を避けられるかな」

「僕たちがバスへ乗らなければ、事故自体が起きない可能性はあるね」

「でも、運転手さんだけ事故に遭ったら駄目だよ」

都々が思わず声を上げ、レイがこちらを振り返った。

「大丈夫ですか。お二人とも、ずっと難しい顔をしていますけど」

「ごめんね。今日は一度、山を下りようかと思って」

「薬草を見つけていません。母の病気がひどくて、一日でも早くと思っていたのですが……お二人だけ先に下りても大丈夫です」

「病気は、明日どうなるか分からないよね」

都々はレイの顔を見て、決心を変えた。

「ごめん。やっぱり探そう。クマが出ても、都々が二人を守るから」

「急に下りたいと言ったのは、どこか痛むからではありませんか」

「どこも痛くないよ。頭も平気、身体も元気」

都々はその場で一回転してみせた。痛む左足を隠すには、あまりにぎこちない。

「ミランさんは? 足は、まだ痛むのですか」

ミランは目を細めた。

「レイちゃん。どうして、都々さんの頭が痛かったことを知っているの?」

「しかめ面をしていたから、そう思っただけです」

「僕の足についても、知っていたように聞こえた。僕たちは、痛む場所を君へ話していないはずだ」

レイは俯き、制服の裾を握った。

「何か、僕たちのためにしてくれているんじゃないかな。隠していることがあるなら、話してほしい」

「もし私が隠し事をしていたら、どうしますか」

「どうもしないよ。まず、理由を聞く」

都々はレイと同じ高さへしゃがんだ。

「謝らなくていいから、教えて」

「私、本当は、ずっと繰り返していました」

「ずっとって、どのくらい?」

「五十回を超えた辺りから、数えるのをやめてしまいました」

レイは何度も言葉を詰まらせながら、最初の反復から話し始めた。

三人で帰りのバスへ乗り、突然のブレーキ音に目を閉じた。開けると祠があり、ミランも都々も何も覚えていなかった。何度か繰り返すうち、身体のどこかが痛むことに気づいた。

「今、レイちゃんも痛いの?」

「胸が痛みます。ごめんなさい。隠していて」

「ほかの場所が痛んだことも?」

「右足、左足、頭、右手、左手。繰り返しすぎて、これですべてかは分かりません」

「それは、とても助かる情報だ。話してくれてありがとう」

「お礼を言われるようなことではありません。悪いのは私です」

「それだけは違うよ。頭がパンクしそうでも、それだけは分かる。レイちゃんのせいじゃない」

「物事は、起こるべくして起こるものだ。事故の責任まで、依頼人一人へ負わせる気はないよ」

「違うんです」

レイは、さらに強く裾を握った。

「初めて繰り返しに気づいた時、心のどこかで、よかったと思ってしまいました。事故に遭う前へ戻れて、お二人を助けられるかもしれないという気持ちもありました。でも、それだけではありません」

涙が地面へ落ちる。

「まだ二人といられる。これが続く限りは、一人じゃないって思ったんです」

「痛くない回もあったの?」

「ありました。その時に外へ出れば、助かったかもしれない。それなのに、私はまた繰り返してしまいました」

「どうして、そこまで一人になるのが怖かったの?」

「まだ、嘘をついていました。母は病気ではありません。もう、病気で亡くなっています」

都々の表情が固まる。レイは、堰を切ったように話し続けた。

「薬草を探すというのも嘘です。どんな無茶なお願いでも聞いてくれる人がいると聞いて、都々お姉さんへ依頼しました。理由は何でもよかった。一日だけでも、誰かに一緒にいてほしかった。誰かと話をしてみたかったんです」

「それで、僕たちを事故へ巻き込んだと思っているんだね」

「ここへ来る前も、来たあとも、繰り返している間も、嘘ばかりでした。本当なら、お二人はこんな目に遭わずに済んだはずなのに」

都々は難しい顔でしばらく考え、やがて肩を落とした。

「やっぱり、難しいことを考えるのは苦手だ。都々は、とても楽しかったけどね」

「こんなことになったのに?」

「こういうことも含めて、楽しかった。ミランも同じだと思うけど、今ここにいることへ文句はないよ」

「僕もない。嘘をつかれたことより、君が何をしようとしていたかの方が大切だ」

「でも、私が一緒にいたいと思ったせいで」

「一緒にいたいと思ってくれたんでしょう。嫌なわけないよ。うれしい」

「それに、この経験はそう何度もできない。僕は来てよかったと思っているよ」

「楽しそうで何よりです」

レイは涙の向こうで、少しだけ笑った。

「ただ、この繰り返しは、もう長く続きません」

「どうして分かるの?」

「この世界は、たぶん私の意思で繰り返しています。お二人がロールシャッハや思考実験の話をした時、楽しい、もっと続けばいいと思って瞬きをしました。黒い箱は、それまで一度も現れなかったので、怖くて、考える前に戻してしまいました」

「箱の時だけは、問いへの答えではなく、恐怖がきっかけだったんだね」

「はい。事故から無事に出られるよう、山の神様か何かが有限の時間を与えてくれたのだと思います。それを、私は自分のために使い続けてしまった」

「あと何回ぐらい?」

「体感では、四回か五回です。それを超えたら、世界が壊れるか、どんな痛みでも現実へ戻されると思います」

「じゃあ、三人が同時に痛くない回を選んで、ここから出よう」

「私が見送ってしまった、あの無傷の回のように?」

「そう。今度は三人で決める。限られた回数でも、一人で選ぶ必要はないよ」

ミランも静かにうなずいた。

「四、五回もあれば十分だ。何より、繰り返す世界を自覚して経験できるなんて、素晴らしいじゃないか」

「何を楽しみ始めてるの」

「なかなか起こらないことだからね。面白い経験をさせてもらったよ」

「本当に、来てよかったと思ってるの?」

「もちろん」

「なんでそこは、私の方を見て言うんだよ」

都々は呆れたあと、レイへ手を差し出した。

「ここを出たあとも、一緒に遊ぼう。都々のお助け部へおいでよ」

「お助け団、ですか」

「お助け部。一人しかいないけど、倉庫には仲間がいっぱいいるよ」

「でも私、都々お姉さんのように軽々と重い武器を持てません」

「都々さんが特殊なだけだから、気にしなくていい。それに、彼女は大ざっぱだから、細かいことに気づく人の方が必要だよ」

「何だって、ミラン?」

「とても素晴らしい、と言ったんだ」

「私、一緒に何かをしようって言ってもらえたの、母以外では初めてです」

「だったら決まり。今度は都々の倉庫へおいで」

都々がレイの髪をわしゃわしゃと撫でた。

「そのためにも、三人でここから出るよ」

「はい」

方針が決まると、ミランは目を輝かせた。

「それでは、レッツ・ループといこうか」

「本当に楽しそうですね」

「外へ出たら、もう一人、いつも騒いでいる面白い友人も紹介するよ。きっと楽しい」

「楽しみにしています」

レイが瞬きをする。

一度目。レイは無傷だったが、都々とミランは二人とも胸が痛んだ。

「胸じゃ踊れないね」

「どきが胸々している、では済まなさそうだ」

「お二人とも、本当に痛いのですね。では、もう一回」

二度目。ミランは初めてどこも痛まず、都々の頭だけが痛んだ。

「これが、痛くないということか」

「でも都々お姉さんが痛いなら、繰り返します」

「頭はちょっと嫌だから、お願い」

三度目。都々は無傷だったが、ミランの左足とレイの胸に痛みがあった。

「私も痛いなら、迷う必要はありません。やり直しましょう」

「そろそろ限界が近い。次か、その次で最後だと思います」

「どんと来い。何があっても、次の運命を受け入れるよ」

四度目。都々は元気だったが、ミランとレイがそろって頭を押さえた。

「お二人とも、本当に痛いのですか」

「とても、ずきずきするよ」

レイは確かめようと、ミランの頭を軽く叩いた。

「痛いと言っている時に叩くものではないよ」

都々が笑い、すぐに真剣な顔へ戻る。

「次が本当に最後だね」

「都々お姉さんがそう言うと、三人とも無事になる気がします」

「都々は運が悪いけどね」

「自分で言わないの」

レイは二人の顔を順に見た。

「最後の反復です。繰り返してもいいですか」

「どんと来い」

「行きましょう」

レイが、最後の瞬きをした。

第五章動画で見る#

最後の反復で、三人は祠の前へ立った。

都々は身体のどこにも痛みを感じない。レイも胸へ手を当て、ほっと息をついた。

「私は大丈夫です。都々お姉さんは?」

「都々も元気。ミランは?」

「僕も全然大丈夫だよ」

ミランはいつもどおり、飄々と笑った。

「本当に大丈夫ですか」

「大丈夫、大丈夫。二人も問題ないなら、この世界から出よう」

レイがうなずこうとした時、都々がじっとミランを見た。

「やっぱり、大丈夫じゃないかも」

「都々お姉さんは、どこか痛むのですか」

「都々じゃない。何となく、あいつが大丈夫じゃない気がする」

「何となくとは、ずいぶん曖昧だね。僕は何ともないよ」

「嘘じゃないですよね」

「もちろん」

時間はもう尽きようとしていた。これ以上ここにいても、世界は三人を外へ押し出す。次の反復はない。

「だったら、どうして繰り返すみたいな話をするんだい。僕たちは全員無傷なんでしょう」

都々は一歩近づき、ミランの頭を軽く叩いた。

「痛い。何をするんだい」

「格好つけようとしないで」

「何のことかな」

「都々が気づかないと思ってる? あんたが、ひょうひょうと笑ってる時は、だいたい嘘をついてる」

「ずいぶんな偏見だね」

「どこが痛いの。頭? 胸? それとも全身?」

「強いて言うなら、小指の先が少し痛いかもしれない。それぐらいだよ」

「小指の先だけ痛い顔じゃない」

「どうして分かるんだい」

「ずっと一緒に仕事をしてきたんだよ。そういう顔をする時ぐらい分かる。都々の直感」

「それなら、当てにならないかもしれないね」

「何てことを言うんだ、お前」

軽口に戻そうとしても、都々の目は笑っていなかった。ミランは頭の痛みを隠している。だが反復はもうできず、三人のうち一人だけをこの世界へ残すこともできない。

「もう戻る道はない。誰か一人だけ残るなんて、そんな便利な選び方もできないよ」

「では、外へ出た時、ミランさんに何かあったら……」

レイの声が震えた。

「私にもう一度繰り返す力があればよかったのに。ごめんなさい」

「レイちゃんのせいじゃない。こいつ、一応は魔法を使えるから、何かあっても自分でどうにかするよ」

「僕は不老不死みたいな生き物だからね」

「本当なのですか」

「うん。どこも痛くないと言ったでしょう。都々さんの勘違いだよ」

都々は歯を食いしばり、やがて視線を逸らした。

「そういうことにしておく。でも、何かあっても、ミランなら何とかできるって信じる」

「だから、どうして何かあることが前提なんだい」

「信じてるよ」

「僕が嘘をついたことなんて、あったかな」

「いつも『何のことだか分からない』って顔をするでしょう」

レイは二人の間で迷い、それでも最後には顔を上げた。

「私は、もう一人で決めません。お二人と一緒に、この世界から出ます」

「それでいい」

「オーケー。帰ろうか」

レイが、最後の瞬きをした。

世界を脱する瞬間、耳を裂くブレーキ音が響き渡る。

三人は帰りのバスへ戻っていた。無茶な運転をする対向車を避け、車体が参道脇へ横転する。身体が座席から投げ出され、窓ガラスが砕けた。ねじれる金属、燃え上がる炎、吹き上がる煙。遠くから近づくサイレンを聞きながら、三人の意識は暗闇へ沈んだ。

レイが目を覚ました時、白い天井が見えた。

消毒薬の匂い。カーテン越しの夕日。都々は隣のベッドで身体を起こしている。二人とも擦り傷こそあったが、あの大事故からは考えられないほど軽い怪我で済んでいた。

ミランだけが、目を覚まさなかった。

頭には包帯が巻かれ、医療機器の規則正しい音が病室へ続いている。医師が容体を説明して出ていったあとも、三人きりになった部屋で、彼の瞼は閉じたままだった。

「そんな……。信じるって言ったのに」

レイの頬を涙が伝う。

「やっぱり、私が。私がここへ連れてこなければ」

「レイちゃんのせいじゃないよ」

「でも、ミランさんは、都々お姉さんの大切なお友達だったんですよね。どうして、私を責めないのですか。どうして、そんなに優しくできるのですか」

都々は眠るミランを見た。

「ミランは最後の最後まで、痛みを隠そうとしてた。こうなる可能性も分かってたんだと思う」

「それなら、どうして止めなかったのですか」

「止めたら、私たちが外へ出ないって知っていたから。こいつは最初から、譲る気がなかった。これはミランが決めたことだよ」

「それでも、私を責めてください。叩かれたって足りないぐらい、ひどいことをしました」

「怒るわけないでしょう。都々は、レイちゃんのことを責めない」

レイはベッド脇へ崩れるように座った。

「私は、どうしたらいいんですか。何をすれば、償えるのでしょう」

「約束したでしょう。都々のお助け部へおいで。一緒に、いろんな人を助けよう」

「こんな私を、まだ一緒にいてくれるのですか」

「もちろん」

都々は枕元へ畳まれていた青いマントを手に取った。それを自分の肩へ羽織り、泣き続けるレイへ手を差し出す。

「行こう、レイちゃん」

レイはその手を取った。

二人が病室を出るまで、ミランは目を覚まさなかった。窓から差し込む夕日は、山頂で見た光よりも静かで、あまりにも綺麗だった。