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06 / 07るむふぉシャッハ

リプレイ小説『ロールシャッハ・シンドローム』#

原作シナリオ:ディズム『ロールシャッハシンドローム』

これから観測される結末は、確定していないが避けようのない厄難だ。
願わくは、閉じて開いた対称の輪郭が、鮮やかであらんことを。

登場人物#

四季凪アキラ
セラフと共に何でも屋を営む青年。慎重に状況を言葉へ置き換え、依頼人が置き去りにならない選択を探す。冗談を挟みつつも、ナナの言葉の揺れを見逃さない。

セラフ・ダズルガーデン
山歩きを好み、危険な場所でも身軽に先を確かめる青年。穏やかな受け答えの奥に、同行者を守ることへの強い責任感がある。

ナナ
運気を開くパワースポットを目指す、方向音痴の少女。刀と大きな荷物を抱え、一人で登る不安から二人へ同行を頼む。その素性と願いは、反復の核心で別の意味を帯びていく。


第一章#

古い路線バスが山道のカーブを曲がるたび、窓から射す光が座席の上を滑った。乗り物酔いに青ざめたナナは、向かいにいた四季凪とセラフへ遠慮がちに声をかけた。

ナナは口元を押さえ、揺れる車内で小さく頭を下げた。

「あの、すみません。少し酔ってしまって……」

四季凪は座席から身を乗り出し、顔色を確かめる。

「大丈夫ですか。薬は持っていないんですが、窓を少し開けましょうか」

「ありがとうございます。気を紛らわせたいので、目的地に着くまでお話ししてくれませんか」

セラフが流れていく木々を指した。

「外を見ながら喋るだけでも、少しは楽になるかもしれないね」

「私、ナナと言います。自分から声をかけたのに、名乗るのが遅くなってしまって」

「四季凪です。こちらはセラフ。俺たちも同じ山へ行くところです」

ナナは胸元の荷紐を緩め、ようやく浅い息を吐いた。

「お二人は、何をしにこの山へ?」

「俺は山登りが好きで、四季凪を誘ったんです。ナナさんは?」

「運気を開いてくれる場所だと聞きました。いいことが起きる、という噂があって」

四季凪とセラフは顔を見合わせた。観光案内にそんな文句があったことを、二人とも今になって思い出した。

セラフは、ナナの腰に下がった刀へ目を留めた。

「立派なものを持ってるね。剣道か何かをしてるんですか?」

「家の仕事で使うものなんです。詳しくは、あまり話せなくて」

「言いにくいなら大丈夫。俺たちも、人に説明しづらい仕事は多いから」

「ところで、お二人はどういうご関係なんですか。お友達ですか?」

「友達で、仕事仲間でもあります。何でも屋みたいなことをしていて」

「依頼するのには、やっぱりすごくお金がかかりますか?」

「内容と、その人の事情によります。どんぐり三つで受けることもありますよ」

「どんぐり三つ?」

冗談だと気づかず聞き返したナナに、セラフが笑ってうなずいた。


停留所には一日に数本しか来ないバスの時刻表が立っていた。次の便まで二時間。ナナは大きな荷物の肩紐を握り直し、二人へ頼みを切り出した。

ナナは時刻表と山道を交互に見たあと、意を決して二人へ向き直った。

「私も、いまからお二人に依頼していいですか」

「内容を聞いてからですね。危ない仕事でなければ」

「私、かなりの方向音痴なんです。一人だと迷いそうなので、山頂まで一緒に行ってほしくて」

セラフは深刻そうに顎へ手を当て、すぐに表情を崩した。

「報酬は、どんぐり三つでどうでしょう」

「どんぐり三つでいいんですか。いまは持っていませんけど、山で見つけたら必ず渡します」

冗談をそのまま受け取ったナナに、四季凪の目元が和らぐ。

「では契約成立です。迷わないよう、俺たちの間を歩いてください」

「よろしくお願いします。お話ししていたら、酔いも少し楽になりました」


三人は木陰の参道へ入った。湿った土が靴底へまとわりつき、不揃いな石段がふくらはぎへ少しずつ疲労を溜めていく。

石段が急になると、セラフの歩幅が目に見えて狭くなった。

「案内するって言ったのに、疲れるのが早いな。まだ行けそうか?」

「行ける。少し息を整えてるだけだから」

ナナは二人の間から心配そうに振り返った。

「本当に大丈夫ですか。荷物、少し持ちましょうか」

「会ったばかりの依頼人に持たせるほど情けなくはないよ」

四季凪は笑いながらも歩調を落とし、三人の靴音がまた揃うのを待った。

「体力さえあれば、道に迷っても何とかなる。人生で大事なのは体力ですよ」

セラフがもっともらしく言い、四季凪はナナへ小声で忠告した。

「彼の話は、半分くらいで聞いてください」

「えっ。分かりました」

「素直に信じないでよ。体力は大事でしょう?」

「お二人は、よく一緒に山へ来るんですか?」

「山は俺の趣味です。四季凪は、今日は巻き込まれた側ですね」

「それでも置いていかないんですね。やっぱり、仲がいいんだなあ」


木漏れ日の下で、ナナは二人の仲のよさを羨ましそうに見つめた。兄弟の一番下で、周囲に追いつけないことが多かった彼女は、友達の作り方が分からないのだと話した。

ナナは足元の石を避けながら、何度か言いかけては口を閉じた。

「私には、お二人みたいな友達がいないんです。友達を作るコツって知りませんか」

四季凪はすぐに答えず、木漏れ日の向こうへ目をやった。

「作ろうとして無理に作るものでもないと思います。話しているうち、気づけば隣にいる。俺たちはそんな感じでした」

セラフも頷き、息を切らしたまま言葉を継ぐ。

「肩肘を張らなくていいよ。ナナさんが相手を知りたいと思った時に、少しずつ話せばいい」

「それに、俺たちでよければ、もう友達になれますよ」

ナナは足を止めそうになり、慌てて二人へ追いついた。

「お二人が、友達になってくださるんですか?」

「いいとか悪いとか、許可を取ることでもないでしょう。もう一緒に山を歩いてるんですから」

「ありがとうございます。お二人みたいな、唯一無二の友達を親友っていうんでしょうか」

「いつか気づいたら、そう呼べる人が隣にいますよ」

「分かりました。頑張ってみます……あ、頑張りすぎなくていいんでしたね」

その律儀な言い直しに、二人は同時に笑った。ナナも遅れて笑い、三人の間にあった遠慮が一枚剥がれた。

第二章#

祠の戸はわずかに開いていた。乾いた木と湿った苔の匂いが混じり、奥の札は墨も紙も傷んで読めない。ナナは持参した塩むすびを、両手で丁寧に供えた。

「ここが噂の場所でしょうか。祠があるなら、何かの神様がいるんですよね」

「札は傷んでいて読めないな。触るなら、壊さないように気をつけよう」

ナナは塩むすびを供え、掌を合わせた。

「本当の友達ができますように。これは、大きすぎる願いでしょうか」

「そんなことはないと思います。願うくらい、誰に遠慮する必要もありません」

セラフも戸口の暗がりへ軽く頭を下げる。

「いつもありがとうございます。うちのことを、これからもよろしくお願いします」

四季凪はそれより長く考え、真剣な顔で手を合わせた。

「家の家電が、長持ちしますように」

「それでいいんですか、お願い事」

「大事だよ。急に壊れたら困るでしょう?」

「日常が続くのが一番、ということですね」


祠を離れてほどなく、参道脇の岩肌に洞窟が口を開けていた。先へ入ったセラフの輪郭を、入口の光が黒く縁取る。奥は浅く、土と石以外に目立つものはなかった。

洞窟の入口で、四季凪は先へ入るセラフの背中を呼び止めた。

「暗いから足元を見て。奥まで行く必要はないぞ」

「分かってる。何もなければ、すぐ戻るよ」

「私はここで待っています。穴の中は、ちょっと怖いので」

「何かあっても、俺が何とかします」

「かっこいい。では私も、後ろを何とかします」

「後ろは、しんがり担当でお願いします」

奥が浅いと分かると、三人は拍子抜けした顔で外へ出た。山頂の風が、洞窟の冷気とは違う明るさで頬を撫でる。

「いい景色ですね。ここでお昼にしませんか」

ナナが蓋を開くと、四季凪は唐揚げへ目を留めた。

「生姜が効いていて、おいしいです。自分で作ったんですか?」

「はい。兄弟が多いので、家の手伝いで覚えました」

「俺も兄弟が多いんです。一番下が奔放だから、ナナさんの真面目さを見ると感心します」

セラフは卵焼きを飲み込み、空になりかけた弁当箱を惜しそうに見た。

「依頼の報酬、どんぐりじゃなくて弁当でもよかったかもしれない」

「次に会う時は、多めに作ってきますね」

「ナナさんは、誰かに料理を習ったんですか?」

「家で手伝いながら覚えました。七人きょうだいの一番下なので、上のみんなに追いつきたくて」

「七番目だから、ナナさんなんだ」

「はい。できないことばかりですけど、料理なら少しは家族の力になれます」

四季凪は唐揚げをもう一つ取り、生姜の香りを確かめた。

「十分、力になってますよ。俺もきょうだいが多いけど、一番下は奔放だから、こんなに真面目ではないな」

「帰り道で、料理の話をもっと聞かせてください」

「俺が教えるより、ナナさんから習うことのほうが多そうですけどね」


帰りのバスでまぶたを閉じたはずだった。次に目を開いた三人は、再び祠の前に立っていた。四季凪の右足とセラフの左手には、傷のない皮膚の奥から痛みだけが走っている。

四季凪は右足を庇い、セラフは左手を握ったり開いたりした。

「待ってください。俺たちは山頂で昼を食べて、帰りのバスに乗ったはずです」

「私たち、まだ登り始めたばかりですよ。山頂には行っていません」

ナナの困惑に嘘はなかった。四季凪は供えられた塩むすびへ視線を落とす。

「でも弁当の中身まで覚えてる。唐揚げと卵焼き、それに生姜の味も」

「どうして知っているんですか。それ、まだ誰にも見せていません」

「夢で三人が同じ記憶を見るとは考えにくい。もう一度登って、違いを確かめましょう」

セラフは痛む手を袖に隠し、ナナを不安にさせまいと笑った。

「歩けなくなったら、その時は助けを借ります。今はまだ大丈夫です」


登り直す間、ナナは虫の話から気を逸らすように、一つの思考実験を持ち出した。目覚めると見知らぬバイオリン奏者と身体をつながれ、九か月待てば相手を救えるという問いだった。

虫を避けていたナナが、唐突に思考実験を持ち出した。

「目覚めた時、見知らぬバイオリン奏者と身体をつながれていたら、どうしますか。九か月待てば、その人は助かるんです」

セラフはほとんど迷わなかった。

「自分が死なないなら、九か月は待つ。俺もバイオリンを弾くから奏者を失いたくない気持ちはあるけど、相手が奏者じゃなくても答えは変わらない」

四季凪は歩きながら、答えの条件を慎重に確かめた。

「仕事にも行けず、家族にも会えない。それでも相手を外せば、その人は死ぬんですね?」

「はい。もし外すことで自分が助かる場合なら、答えは変わりますか」

「自分一人の命なら迷います。でも俺の命は、俺だけのものでもない。待っている人を置いていく選択は簡単にできません」

「俺も同じです。誰かを救いたい気持ちだけで、残す人のことまで消せない」

ナナは二人の答えを噛みしめるように目を伏せた。

「正解のない問いなんですね。だから、その人が何を大切にしているかが見える」

「ナナさんは、こういう問いが好きなんですか?」

「人によって答えが違うのが面白くて。普段は、もっと簡単な心理テストも見ます」

「性格診断とか、サイコパス診断とか?」

「赤を選ぶとサイコパス、みたいなものですか」

「赤は、サイコパスになりたい人が選ぶ答えらしいですよ」

ナナが真面目にうなずき、二人は笑った。重い問いのあとに戻った軽さが、登り道の息苦しさを和らげた。

第三章#

瞬きのあと、三人はまた祠の前へ戻った。木漏れ日の角度まで同じなのに、セラフの痛みだけが消え、四季凪の右足には違和感が残っている。

祠へ戻った瞬間、セラフは痛みの消えた左手を見つめた。

「さっきまで痛かったのに、今は何ともない。四季凪は?」

「右足だけ、まだ妙な痛みがある。傷は見えないけど」

「お二人とも、さっきから何の話をしているんですか」

ナナには思考実験の会話さえ残っていない。四季凪は時刻と供え物を順に確かめた。

「時間も祠も元に戻っている。俺たちの記憶と痛みだけが、同じようには戻らないらしい」

「怖がらせたくはないけど、ここで待つだけでは変わらない。無理をしない範囲でもう一度見に行こう」

「分かりました。今度は、私も気づいたことを全部言います」


洞窟は前と同じ形をしていなかった。割れたランプの火と、車体から剥がれたようなヘッドライトが岩壁を照らし、その間に左右対称の影を作っている。

洞窟の奥で燃えるランプを見つけ、セラフは片手を上げて二人を止めた。

「近づきすぎないで。車のヘッドライトみたいなものも落ちてる」

「どうして、こんな場所に車の部品があるんでしょう」

四季凪が呼びかけても、返事はなく、火の爆ぜる音だけが返った。

「誰かいるなら返事をしてください。怪我をしていませんか」

「圏外です。水で火を消して、入口まで戻りましょう」

セラフが火を消すと、ヘッドライトだけが白く残り、三人の影を岩壁へ押しつけた。

「この影、狐の顔に見えませんか。祠と関係があるのかも」

「俺には、口を開けた獣に見える。見る人によって形が違うんだな」

セラフは首を傾け、影の外縁を目で追った。

「俺には、大きな蛾にも見える。羽を左右へ広げてるみたいだ」


同じ影を見ても答えは一致しない。その違いがロールシャッハ・テストに似ていると気づいた時、再び思念が流れ込んだ。――時間が来れば、影は実体を取り戻す。

ナナは岩壁の影を指でなぞるように見つめた。

「左右が同じ形です。紙を折って絵の具を広げた時みたい」

「ロールシャッハ・テストに似てるな。同じ図でも、見る人によって答えが変わる」

「答えが違うこと自体に、意味があるんでしょうか」

声ではない言葉が頭の奥へ響き、三人は同時に息を止めた。時間が来れば、影は実体を取り戻す。

「実体って、あのヘッドライトの持ち主のことかな」

「分からない。でも、次に戻ったら痛む場所を記録しよう。何かの予告なら、並べれば意味が見える」

祠へ戻ると、今度はナナが左手首を押さえた。

「傷はないのに、捻ったみたいに痛みます。これも覚えておきます」


周回を重ねるうち、四季凪とセラフは、まだ話していないはずのナナの好みや弁当の中身まで思い出した。ナナは気味悪がりながらも、二人の記憶が一致していることを認めざるを得なかった。

「ナナさん、今日の弁当は唐揚げと卵焼きですよね。まだ開けていないのに、俺たちは知っている」

「前にも同じことを聞きました。何度も会っているみたいに、私のことを知っているんですね」

セラフは冗談で逃げず、正面から頷いた。

「この山を四回以上繰り返している。たぶん、ナナさんも別の周回を覚えている時がある」

「私は今日が初めてのはずです。でも、知らないはずのお二人を懐かしいと思う時があります」

「心理テストが好きなことも、弁当の中身も、まだ聞く前から知っていた」

「それ、普通ならストーカーを疑うところですよ」

「そう聞こえるよね。でも二人とも同じ記憶を持ってる。冗談で言ってるんじゃないんです」

三人は札の向き、石の欠け、枯れ枝の位置を一つずつ照合した。

「同じものばかりじゃない。札が鏡写しになってる。世界の方が少しずつ崩れているのかもしれない」

参道の先に現れた黒い箱を前に、ナナは足を止めた。

「あれは、前の山にはありませんでした」

「俺たちの記憶が増えるたび、向こうも何かを見せようとしているみたいだな」

第四章#

箱へ近づくと、内側から無線のような雑音が漏れた。三人がまだ車内に取り残されている。大至急、応援を求む――切迫した声が、未来の事故を報告していた。

箱の中から流れた救助無線に、三人の顔から血の気が引いた。

「三人が車内に取り残されているって、言いましたよね」

「俺たちの人数と同じだ。洞窟にあったのはヘッドライトで、戻る直前にはブレーキ音を聞いた」

四季凪は指を折りながら、断片を一つの時系列へ並べた。

「帰りのバスで事故が起きる。あの箱の声は、その救助要請じゃないでしょうか」

「それなら、今の俺たちは事故の前なのか、もう事故の後なのか」

「身体は事故の前に戻っている。でも痛みだけが残るなら、負うはずの傷を先に感じているのかもしれません」

ナナは愛想笑いを消し、黒い箱から一歩だけ離れた。

「全部、同じ事故を指しているんですね」


痛む部位は周回ごとに変わり、まったく痛まない時もある。箱の救助無線と結びつければ、それは帰りのバス事故で負う傷の予告だと考えられた。

「最初は右足、次は胸、今度は左手。周回ごとに痛む場所が変わっています」

「痛まない時もあった。事故で受ける傷が、周回ごとに変わっていると考えれば辻褄が合う」

セラフは自分の手を眺め、軽口を挟むのをやめた。

「三人とも痛くない周回を引ければ、無傷で帰れるのかな」

「保証はない。でも、今のところ他に安全を判断する手掛かりがありません」

四季凪はナナへ向き直り、責める響きを避けて声を落とした。

「ナナさん。最初に異変へ気づいたのは、本当に今回が初めてですか」

長い沈黙のあと、ナナの指が荷紐へ強く食い込んだ。


ナナはついに、自分だけが百回を越える反復を覚えていると打ち明けた。数えることをやめるほど繰り返し、そのたび二人と初対面からやり直してきたのだ。

「ごめんなさい。私は百回より前から、この山を繰り返しています」

四季凪は驚いても声を荒らげず、続きを待った。

「毎回、お二人は私を初対面として助けてくれました。何度説明しても次には忘れてしまうから、もう頼り方が分からなくなって」

「巻き込んだと思って、一人で抱えていたんですか」

「晴れた日だったから、いいことが起きると思いました。祠で、本当の友達がほしいと願って……それが原因なら、私のせいです」

ナナは、これまで言えずにいたことを一息に吐き出した。

「私は、何でもないところで転ぶし、出かければ雨になるし、きょうだいたちにできることも私だけできません。今日は珍しく晴れていたから、きっといい日になると思ったんです」

「不運を変えたくて、この山へ来た」

「はい。でも、願ったせいでお二人を百回以上も巻き込んだなら、友達になってほしいなんて言う資格はありません」

セラフは首を横に振り、ナナと同じ高さまで腰を落とした。

「願ったことまで謝らなくていい。俺たちは、自分で一緒に行くと決めたんだから」

「もっと早く頼ってくれてよかったんです。今度は三人で考えましょう」

ナナは唇を噛み、ようやく二人の目を見た。

「今度こそ、全部お話しします」


ナナが最後に覚えている現実は、帰りのバスで聞いた大きなブレーキ音だった。箱の声、洞窟のヘッドライト、身体の痛みが一つの事故へつながっていく。

「現実で最後に覚えているのは、帰りのバスの大きなブレーキ音です」

「その直後に祠へ戻る。箱の救助要請も、洞窟の部品も、事故の瞬間から流れ込んだものなんだろうな」

「三人とも無傷の周回は、今まで一度もありませんでした」

「この世界は、あと四回ほどしか持たないと思います。私が終わろうと願えば出られる。でも、無傷でも助かる保証はありません」

四季凪は崩れかけた景色を見渡した。木の輪郭が瞬きのたびに薄く揺れる。

「残りの反復が少ないなら、無傷を待つこと自体が危険になります」

「でも誰か一人だけ重傷のまま帰る答えも選びたくない」

「誰かに決めてもらうんじゃなく、三人で条件を決めよう。どこまでなら進み、どこで帰るか」

第五章#

祠を調べても、洞窟を探しても、確実な出口はない。残る選択は、痛みのない組み合わせを待って反復するか、今の傷を受け入れて現実へ戻るかだった。

「今すぐ戻れば、予感どおりの傷を負うかもしれません。続ければ、もっと悪い結果になるかもしれない」

「ナナさんが原因だと決めつけるのはやめましょう。祠の力か、事故の瞬間の何かか、まだ分からない」

セラフは痛む胸へ手を当て、それでもナナから目を逸らさなかった。

「俺はもう一度だけ試したい。三人とも痛みがない周回があるか、確かめたいんです」

「俺も同じです。ただし誰かの痛みが強くなったら、その時点でもう一度話し合う」

「分かりました。私が勝手に続けることはしません。次の瞬きも、三人で選びます」

三人は手を重ねる代わりに、互いの返事を一人ずつ聞いた。それがこの世界で初めて交わした、対等な約束だった。


反復するたび、四季凪の右足、セラフの胸、ナナの腕から痛みが消えたり戻ったりした。そしてついに、三人の誰にも予兆の痛みがない世界が訪れた。

祠前の光景は同じ形を保っていたが、木々の縁は水面のようにかすかに揺れている。次の瞬きまで世界が持つのか、もう誰にも確信はなかった。

ナナはまず自分の腕を確かめ、続いて二人の顔を見た。

「私は痛くありません。お二人は、本当にどこも痛くないですか」

四季凪は右足へ体重をかけ、ゆっくり踏み込んだ。

「大丈夫です。違和感もありません」

セラフも胸と左手を順に確かめ、長く息を吐く。

「俺も平気。やっと三人とも同じ条件になった」

「無傷が安全の保証ではありません。それでも、私はこの周回で帰りたいです」

「帰りましょう。これ以上、一人で何度もやり直さなくていい」

ナナは泣きそうな顔のまま、今度ははっきりと頷いた。


三人はループを終えると決めた。ナナが目を閉じると、山の匂いが消え、バスのエンジン音と座席の振動が戻ってくる。

次の瞬間、無茶な運転をする車を避けようとしたバスが道を外れた。急ブレーキ、砕ける窓、燃え上がる火、吹き上がる煙。遠くから近づくサイレンを最後に、三人の意識は暗闇へ落ちていった。


次に目を開くと、白い病室の天井があった。消毒薬の匂いと機械の規則音の中で、三人は互いの名を呼び、指先から順に身体を動かした。

ナナは瞼を開き、白い天井を見たあと、隣のベッドへ顔を向けた。

「四季凪さん、セラフさん。聞こえますか」

「聞こえます。指も足も動く。ナナさんは?」

「私も大丈夫です。痛かったところも、今は何ともありません」

セラフは乾いた喉で笑い、枕へ頭を戻した。

「あれだけの事故で無傷なんて、とんでもない幸運だな」

「誰か一人の幸運じゃありません。三人で選んだ結果です」

「日常へ戻れた、ってことですね」

「三人とも、ものすごく運がよかったんだよ。ナナさんも含めて」

「じゃあ、依頼は達成ですね。どんぐり三つは、次に会った時でいいですよ」

ナナの目に涙が滲んだが、声は明るかった。

「次はお弁当も持っていきます。友達として、また会ってくれますか」

「もちろん。今度は山じゃない場所にしましょう」

「紹介したい友人もいます。ナナさんなら、きっと話が合いますよ」

「本当に、私でよければ?」

「もちろん。住所は後で渡します。行き方の手順が、少し複雑なんですけど」

「お願いします。今度は迷わないようにします」

どんぐり三つで始まった依頼は、三人で命を持ち帰る仕事になった。窓の外には山ではなく病院の夏空があり、ナナはもう次に会う日の話をしていた。